総合人文科学としての中国画の重要性

実は僕が学んでいる書・画・篆刻といった中国芸術は、まとめて修めることで、僕の考えるところの「総合人文科学」、すなわち分断工作に対抗し得る学問の一つとなります。風が吹けば桶屋が儲かる式の論法を地で行く話なので、その難解な論理を順を追って説明する必要がありますが、最後まで読んでいただければ中国芸術の深淵さが伝わるはずです。そこで、これから僕が目指している「金石書画」――書・画・篆刻のすべてを高い水準で修めた中国芸術家のこと――について、長くなるので何回かに分けて書いていこうと思います。中国芸術の凄みと言われても正直ピンと来ない方が大半でしょうから、まずは西洋人にも届くように考えた序文から紹介します。

1. 中国画と西洋画における空間解釈の違い

これから論じるのは、西洋画と中国画における「空間」解釈の違いです。

西洋画では、芸術家はパース・解剖学・光源といった技法を駆使して、二次元平面の上に三次元空間を立ち上げます。それらの技法は、実際には起こらなかったかもしれない宗教的場面を、あたかも史実であるかのように観衆へ信じ込ませるための「説得力」を担ってきました。人はしばしば説得力と事実を取り違えますが、そもそも嘘というのはフェイクニュースのように、人を欺く目的で説得力を持つよう意図的に設計されているわけで、説得力があることと事実であることは必ずしも同義ではありません。西洋画はまさに、この人間の傾向を巧みに利用してきた表現様式です。

一方、東洋画、とりわけ中国画では、公式には「物事の真髄を描くために本質以外を省く」結果として絵の中に空間が生まれた、と解釈されています。そこには道教や儒教を生んだ東洋の賢者たち特有の、捉えどころのない抽象的な仮説が積み重なっていて、中国画をいっそう神秘的なものに見せています。そのため若い西洋の芸術家には理解しがたい側面が中国画にはあるのですが、僕自身は西洋の観察的人物画からキャリアを始めたので、そうした外部の人々にも届く言葉で中国画を語ることができます。

大写意の花鳥図と山水画を十年練習してきた今、中国画は技術的にもコンセプト的にも極めて逆説的なものだと感じています。結論から言えば、中国画とは「絵そのものではないもの」について、あるいは「最も描かれていないもの」について描かれた絵なのです。中国画では、そこに描かれていないものが、描かれているものに擬態している。一見もったいぶった物言いに聞こえるでしょうが、後述する理由で、これがもっとも正確な中国画の描写だと感じてもらえるはずです。中国画の大家の作品は、短時間で軽々と、何気なく描かれているように見えるため、観衆に「中国画は西洋の油彩より簡単そうだ」という誤解を与えがちです。僕も西洋画から中国画に転向するまでは同じ誤解を抱いていました。僕は観察に基づくウェット・オン・ウェット、いわゆるアラプリマの油彩人物画についてはかなりのレベルにあるという自負がありますし、アラプリマの人物画は西洋画のなかでも最も難しい技法のひとつです。ですから、文化的・歴史的な観点で中国画と西洋画を比較したときの西洋画側の優位性を考えれば、中国画の技術はアラプリマの油彩より習得が容易であるはず、と当然のように思っていたのです。

ところが、これに大いに苦戦することになりました。最初の頃は、先生が描いた初心者向けの習作を模倣することすらままならず、先生は「まともな中国画家になるには四十年かかる」とまで言いました。最初は誇張だと思いました。けれど次第に、中国画は見た目どおりではないと気づき始めます。技術面の深さはしばらく経って認識できたものの、今度はコンセプトのほうがやけにシンプルに感じられ、違和感が残りました。要するに、要求される技術水準に対して、西洋画のような象徴性・メッセージ性・コンセプトの厚みが足りていないように見え、どこかアンバランスだったのです。

中国画は、技術的にどう見ても「鈍い人向け」ではありません。にもかかわらず、なぜこれほど多くの大家の作品が花鳥や山水といった、純粋に装飾的で非政治的なモチーフなのか――平均的な中国人がいかに政治的な人々であるかを思えば、これは説明がつきません。そこで僕は隔月で日本と上海を行き来しながら、中国画の秘密を解こうとしました。

まず想像してみたのは、中国でもっとも賢い人々はいったいどのような姿で現れるのか、ということです。政治家でしょうか。起業家でしょうか。あるいは芸術家かもしれません。試しに孫子の兵法を読んでみたところ、当時の僕にもっとも刺さったのは「本当に強い者は、勝負が起こったことすら気づかれぬほど当然に勝つので、後世に語られない」という一節でした。この見方は非常に興味深い。考えてみれば、中国人が好む古代の戦争譚は、たいてい少数精鋭で大軍を蹴散らす大番狂わせの話で、それを成し遂げた将軍の聡明さと抜け目のなさが称えられます。しかし、より洗練され抜け目のないはずの、あまりに順当で一方的で、物理的衝突すら伴わない戦いについては、ほとんど語られないのです。

中国には「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺があります。中国史を通して、革命によって前王朝が倒れるたび、当時の支配層エリート一族が一族郎党処刑される、という光景は半ば恒例行事でした。中国史上もっとも長く続いた統一王朝である唐ですら二百八十九年、ほとんどの統一王朝は二百年と保たず、最初の統一王朝である秦に至っては十五年で潰えています。ですから中国の人々には、時の王朝はあくまで一時的なものだという感覚が根づいてきました。人は繁栄を信じて政治的に振る舞います。しかし、ある人物が自分の世代の繁栄を、いずれ賊軍として処刑されるリスクと引き換えに最大化する一方で、別の人物が出世の機会を与えられても、子孫の生き残りを優先して目立たない生き方を選んだとき、両者のどちらがより政治的だと言えるでしょうか。

これは面白い問いだと思います。多くの戦争英雄の血筋は今日まで残らなかった一方で、ただの一般人である我々は現にここまで残っています。もし過去に失われた英雄たちの一族がもっとも政治的だったとしたら、現に今日まで生き延びた我々はどれほど政治的だと言えるでしょうか。

きわめて政治的な人々は、つねに官軍の側にいます。しかし万一賊軍に転じる事態に備えて、彼らは政争による処刑や処罰を避けるべく、あまり出世を望みません。だから彼らは目立たちません。表面上は非政治的に見え、政治的混乱にも気づかぬふりをしていながら、不思議なことに肝心な場面ではつねに歴史の正しい側に立っているのです。

「もっとも賢い人々はどう振る舞うか」を仮説として論じるのは難しいです。彼らの知性は僕らの想像を超えており、ゆえに振る舞いもまた定義上、僕らの想像を超えるからです。それでも僕は次のような仮説を持っています。きわめて鋭敏な人々は、努めて平均的に見えるよう擬態しています。一方であまり鋭敏でない人々は、自分を実態より良く見せようとします。後者の擬態には僕らも気づきます。彼らの擬態は十分に緻密ではないからです。しかし、きわめて鋭敏な人々が平均人を装っているのを見抜くのは難しいです。何故なら彼らの擬態は、僕らのような並の知性では見破れない程度には緻密に設計されているからです。そして「一般人に擬態した超越的知性の持ち主」が存在しないことを証明するのは二重に不可能です。何かの非在を示す証明が「悪魔の証明」と呼ばれるのには理由があります。むしろ僕らはすでに、一般人に擬態した超越的知性の持ち主たちに囲まれている可能性のほうが高い――そう気づいたことはありませんか。彼らが一般人に見えるのは彼らの知性が平凡だからではなく、彼らの擬態を僕らが見抜けないという事実の帰結なのです。

ですから僕は、中国の人々や芸術を評価するとき、目に見える知性のサインよりも、平凡に見える人々の微妙な差異のほうに惹かれるようになりました。

また、中国画の題材には、龍や鳳凰のような汎用的で無難なシンボルを除けば、特定の宗教的・政治的記号がほとんど見当たらないことにも気づきました。ちなみに龍は男性性の、鳳凰は女性性の象徴です。なぜ中国画には、古典的な西洋画にあるような秘密の宗教的・政治的シンボルが欠けているのでしょうか。僕はこう考えます――誰かが客間の壁に掛け軸をかけるとき、その掛け軸から持ち主の政治的傾向が客にバレないようにしておかなければ、いざというとき歴史の間違った側に立たされかねないからです。秘密の宗教的・政治的シンボルを忍ばせた作品もかつては存在したと僕は確信しています。しかしそれらは、文化大革命のように「不適切」とされた芸術や文学が検閲される政治的事件を、単に生き延びられなかっただけでしょう。なぜ人は政治的に振る舞うのか、と問えば、それは繁栄を求めるからです。しかし、政治的な作品が政治的事件を生き延びられなかった一方で、何気なく描かれたように見える花鳥や山水といった装飾的で非政治的な絵は生き延びてきた――この事実を踏まえれば、実際にはどちらの絵がより政治的だったのか、と問わざるを得ません。中国画は一見、非政治的です。しかし「非政治的に見える」というのは、実は高度に政治的であることの症状のひとつなのです。だから中国画の本当の美しさを評価するには、その絵が「何について描かれているか」だけでなく、「何について描かれていないか」にも注意を払わねばなりません。正しい文脈さえ得れば、非政治的に見える中国画の中に、政治的混乱に次ぐ混乱の痕跡をいくらでも見いだすことができます。

そうした文脈のなかで、中国画における「空間」は決定的に重要です。なぜならこの空間こそが、中国画の輪郭そのものを定義しているからです。中国画は描かれていないものについて描かれている――誰かの言葉を借りれば、雄弁は銀、沈黙は金、なのです。これらが僕にとって中国画を逆説的に映じさせる理由です。長い政治的混乱を生き延びた絵は、もっとも何気なく描かれたように見える、もっとも非政治的な絵でした。そうは見えませんが、それらが今日まで残ったという事実こそが、実際にはそれらをもっとも政治的な絵にしています。この説明が西洋の若い芸術家にも届けばと願います。「そこに何がないのか」を語るのは難しいことです。何かの不在は、ときに逆説によってしか説明できません。それはちょうど、紫を「黄の不在」と述べるようなものです。紫はまさに「それではないもの」の文脈においてしか説明できません。紫はまったく黄ではない――けれど同時に、黄についての色でもあるのです。

2. 中国画家として大成するには

ここからは、中国画の人文科学としての重要性を語っていきます。先生に「一人前の中国画家になるには四十年かかる」と言われた話を先ほど書きましたが、始めて十年目の今、大写意の花鳥図と山水画についてはそれなりの水準には到達しているという自負があります。では先生の言う「四十年」の真意はどこにあったのかと考えを巡らせていたとき、ふと先生がよく口にしていた「金石書画」という概念を思い出しました。金石書画とは、書・画・篆刻のすべてを高い水準で修めた中国芸術家を指す呼び名です。そう考えてみると、たしかに僕の書と篆刻はまだ素人の域を出ません。書法と篆刻を修めるのに具体的に何年かかるのかは分かりませんが、相当な年数を要するであろうことは、なんとなく見当がつきます。

では、金石書画の世界観とはいかなるものか。そもそも書法をどの水準まで修めれば書家を名乗れるのか。僕の先生のさらに先生である来楚生によれば、「楷書・行書・草書・隷書・篆書のすべてを修め、いずれも自分の風格をもった書体で書けなければ、書家とは名乗れない」とされます。では篆刻は。僕の先生である翁祖清は、篆刻家を名乗る条件について明言してはいませんが、その学識の範囲を見れば、印篆はもちろん、大篆や金文まで修めていて、過去には存在しないが現代には存在する新しい漢字を、金文に見える偏旁の組み合わせから創作したりもします。ここまで達した金石書画家は、社会との関係がほどよく断たれ、いわば浮世離れし始め、六朝の詩人・陶淵明に代表される隠逸思想に染まり、多芸多趣味・アマチュアリズム・反俗性・孤高性・養生といった多彩な文人的属性が芽吹いていきます。また、楷書から始まって行書、草書、隷書、篆書へと書体を次々に学んでいき、篆書まで来ると今度は篆刻への関心が生まれ、大篆や金文を修めるうちに自然と時代をさかのぼり、考古学や儒教・道教の典籍、さらには司馬遷の『史記』や『孫子の兵法』といった中国古典に触れていくことになります。

こうした学問を修めた文人、とりわけ中国における「隠逸」というのは、先に書いたとおり「ある水準以上の知性を持つ者の非在」を経験してきた古人たちが、僕がパラドックスを用いて挑んだのと同じように、さまざまな譬えを通じて「隠逸という人物像とはいかなるものか」を古典のなかで多様に描き出してきたものです。中央の政争に疲れた文人、あるいは儒教という体制教学を修めながら、当時の権力者と縁戚やコネがなかったり、評価基準がそぐわなかったりして要職に就けなかった知識人――そうした人々が、まずは争いを避けるために山に入り、養生をしつつ、劉備玄徳が諸葛孔明のもとを三度訪れた三顧の礼や、文王が釣りをしていた太公望を軍師として迎えた逸話のように、自分が仕えるべき君子の到来を夢見て学問を修め続け、万一その君子が現れて助けを求められ、しかもその君子が十分な徳を備えていれば天下取りを助け、首尾よく天下が取れたあかつきには、養生と学問を続けながら、君子の謙虚な食客として養われつつ助言を与え体制を支えよう――そうした好機がいつか巡って来るかもしれぬと身構える、苦学生のような佇まいの、一見すると一般人と見分けのつかない知識人がいるわけです。その様はあたかも、逸脱した知性を持つ者が一般人に擬態して身を潜めている世界に僕らは住んでいるかもしれず、しかも彼らの知性が一般人の知性を超越しているという定義上、彼らが本気で隠れようとすれば僕らの側に見破る術はない――そうした理論上は存在するであろう、隠れた超越的知性の文人を、古人は「隠逸」と呼んだのです。この概念は実は中国の春秋戦国時代にまで遡れる、相当に古い思想です。しかし愚民教育を受け、漢籍も読まない現代人にとっては、一周回ってある意味で新しい世界観でもあります。古典を読まなければこの世界観の高度さは分からないだろうな、と思いながら、中国の古典に触れつつ絵を描く日々を送っています。

3. 総合人文科学としての中国画の重要性

前置きが終わったので、ここからは、中国画を修めることでいかに天下を狙っていくか、という核心に触れていきます。僕は四分の三が中国人、四分の一が日本人ですが、日本で生まれ育ったという理由だけで、長らく自分を日本人だと考えてきました。そんな僕も、小中学校の社会科で「ヨーロッパの白人は大別するとアングロサクソン、ゲルマン、ラテン、スラヴといった系統に分かれる」という常識を学び、大学時代はアメリカの美大で実際にさまざまな人種・ジェンダーの人々に囲まれて学生生活を送り、美大という環境のなかから、芸術家にとってのアイデンティティの重要性を学びました。

芸術家にとってのアイデンティティの重要性を端的に言えば、それは「努力では越えられない参入障壁」ということです。現代の芸術家とは違い、古典的な芸術家たちはアイデンティティという概念をあまり積極的には用いませんでした。彼らはその代わり、十年に及ぶ無名時代を耐えるなかで、芸術家としてのキャリアを諦めていく仲間たちを見送りつつ、試行錯誤の末に磨き上げた純粋な絵画技術を、他の制作画家志望の美大卒業生たちにとっての十分に高い参入障壁とすることで、自分たちの仕事を守り抜いてきたのです。

今日の若い芸術家の多くは、美大卒業後、いつか個展を開けるだけの知名度を得ることを夢見てグループ展に参加し始めたり、恋愛のしやすい大都市に引っ越したりします。彼らの多くは、いずれ郊外に移って家庭を支えるために、まずは都会である程度成功しつつ出会いも探そうとしますが、現実は厳しいです。

たとえば、ニューヨークで画家として勝負することを想像してみてください。まず月二千ドルでワンルームを借ります。すると、その家賃を払うために、制作以外のスキルを持たない美大卒業生たちは、きつくて時給の安いバイトを長時間こなさざるを得なくなります。当然ストレスが溜まるので、彼らは芸術家志望の仲間と「芸術談義」と称して飲みに出かけ、金を浪費します。すると、思っていたほど制作に時間を割けない現実にさらにストレスを募らせ、ようやく制作の時間を捻出できたときには、もう疲れ切っていたり描く気分ではなかったりします。このサイクルを二、三年繰り返したあたりで、地方で経済的に支援してくれていた両親から「そろそろ実家に戻ってまともな職を探せ」と連絡が入り、仕送りが途絶え、彼らはキャリアを諦めて帰郷し、普通の仕事に就かざるを得なくなるのです。

中堅以上の芸術家になれる才能はなかったけれども抜け目がなかった、あるいはそもそも家が裕福でまったく働かなくても困らないが「恋愛のために働いている」という体裁が欲しい――そうした人々は、芸術家としてのキャリアを早々に見切り、プロデューサーやディレクターといったマネジメント側に回ります。彼らは、自分自身が中堅の芸術家にすらなれなかったという事実があるにもかかわらず、マネジメント側に立った途端、自分がそこらの芸術家よりセンスがあると思い始めるのです。

資金力のあるプロジェクトには、政治的アジェンダが伴うことが多いです。これは実体験ですが、美大卒業後に返済不要の奨学金を探したところ、見つかる奨学金のほぼすべてが、ゲイ・レズビアン・トランスジェンダーといった性的マイノリティに限定されていました。当時から僕は、これは海外資本による分断工作だな、とピンと来ていました。分断工作とは何かを簡単に説明すると、ある領域で複数の派閥が競合しているとき、外部資本がそのなかでもっとも弱い派閥を経済的に支援し、もっとも強い派閥の体力を消耗させる手口のことです。勝負が拮抗して長期化し、その場の全員に消耗が避けられなくなった頃合いを見計らって、もっとも弱い派閥を支援していた外部資本が良心的な第三者を装って現れ、自分にもっとも都合のいいルールを押しつけて仲裁に乗り出す――歴史を振り返れば、これは繰り返し起きてきたことが分かります。

現代の芸術家には、古典的な芸術家のように、実るかどうかも分からない努力を十年続けるのとは別の、もっと効率的にプロになる方法があります。それが「人種・ジェンダー・国籍といったアイデンティティを利用すること」です。多くの芸術家の卵がキャリアを諦めていくのを横目に、性的マイノリティや人種的マイノリティに属する者たちは、海外資本から彼らだけに供される返済不要の奨学金を活用して、つつがなく中堅芸術家になっていきます。彼らの親もまた、自分の子のアイデンティティが時の権力に支持されていると感じるため、普通のアイデンティティしか持たない芸術家の親に比べて、子の成功を待つ忍耐力が強いです。こうして性的マイノリティといったアイデンティティを掲げる芸術家の影響力が増していくにつれ、分断工作はますます容易になっていきます。

ここで僕は重要なことに気づきます。中国人の父には十人の弟妹がいます。彼ら、彼女らはみな、中国各地にルーツを持つ配偶者と結ばれ、僕と同世代の子供たちをもうけました。だから僕には、互いに顔立ちも体型もあまり似ていない従兄弟姉妹が大勢います。僕は中国人どうしの容姿の差異を見比べながら、そこにはヨーロッパの白人と同じく、アングロサクソンやゲルマンのようなサブグループがあるはずだ、と幼い頃から思っていました。にもかかわらず、彼らはなぜか、自分たちが一つに統一された漢民族だと確信していて、しかも漢民族は中国人口の九十四パーセントを占めている。これは奇妙なことでありながら、同時に重要な事実を示しているのではないでしょうか。すなわち、中国は西欧社会と異なり、悪意ある海外資本による分断工作に対して免疫を備えている、ということです。

中国の闘争の歴史は長いです。孫子の兵法に言わせれば、百戦百勝は戦わずして勝つことに及ばない。平和とは、おそらく高度な戦争状態の別名です。平和という概念は本来、戦争が日常だった時代に、長引く戦争による消耗から、競合する者たちが「次の戦争のための準備期間を共有しよう」と互いに合意することによって生まれました。この本来の定義は、現代の状況を説明するうえでも驚くほど精確です。仮に、現代における第二次世界大戦後の「恒久平和」が、敗戦国側による「この平和という、次の戦争のための準備期間をできるだけ長く確保するために、暫定的な戦勝国側との間で『これは恒久的なものですよ』と取り交わした一時的な政治的ポーズ」だったとしたら、どう思いますか。第二次世界大戦後、大国どうしの武力による戦争は核戦争へのエスカレーションリスクから避けられ続けてきました。その結果、核兵器やそれに準ずる影響力を持つ物理兵器は、もっぱら示威行為のためにのみ使われるようになりました。物理的な戦争そのものが、経済戦争や研究開発レースに置き換わっていき、物理的でなくなった資本や情報を、物理的戦争を通じて略奪することはもうできなくなったのです。

この段階に達すると、「平和に擬態した戦争」が立ち現れ始めます。革命が進行中なのか否か、明確には見えなくなってきますし、ある国が西欧の説く「人権」を守っているのかどうかも判然としなくなってきます。ここで言う「人権」とは、先進国側が疲弊することなくリードを維持できるよう、発展途上国側に押しつけた労働倫理や労働規制の総称のことです。そこには、西欧諸国の側に「倫理で戦えば自分たちは絶対に負けない」という自負と、仮に負けたとしても「相手が人権を踏みにじったからだ」と言い訳に転用できる、という驕りが透けて見えています。

はっきり言ってしまえば、最初にタブーを犯した者たちは、当時タブーという概念自体がまだ存在しなかったがゆえに、罰されることがありませんでした。その結果、もっとも犯罪気質に富んだ者たちが、殺人・強姦・拷問・略奪といった不公平なアドバンテージを足場に、やがて国を統一し、王にさえなっていったのです。犯罪気質が中途半端だった者や、王みずからの手でタブーという概念が発明された後にタブーを犯した者たちが、文字どおりの「犯罪者」となりました。

戦争や革命は劇的な変化をもたらします。しかし人は、平和に擬態した革命や戦争が進行していることには気づきません。それでも、加速していく変化の手触りが、確かに平和に擬態した革命や戦争の存在を仄めかしています。ただの平和の最中には、戦時のように目まぐるしく変化する環境への適応を急ぐ必要は感じられません。だからこそ、本来であれば変化への適応を急がねばならない「ただの戦争」を、「平和に擬態した戦争」として競合相手に呈示し、いまは平和なのだと錯覚させて適応力を鈍らせる――これは、ただの戦争よりも効率的な戦い方だと言えるのです。

基礎科学には三つのカテゴリーがあります。自然科学・社会科学・人文科学です。自然科学には物理・化学・生物学・地球科学・天文学が、社会科学には政治学・政策科学・経営学・法学・経済学・社会学が、人文科学には倫理学・哲学・美学・言語学・宗教学・考古学が含まれます。基礎科学を戦争に応用しようと考えるとき、人々は自然科学、社会科学、人文科学の順で優先順位をつけがちですが、これは戦争の歴史に詳しくない人々が陥りやすい誤りです。

たとえば物理学の成果である核兵器は、政治的に正しく振る舞える科学者にしかそのテクノロジーへアクセスが許されないという事実によって、核戦争が現実に起こらずに済んでいます。これは同時に、核兵器以上に社会的インパクトを持ちうる技術――たとえば量子力学やフリーエネルギーといった技術――が発明されたとしても、それにアクセスできるのは政治的に、願わくは倫理的に正しく振る舞える者たちに限られるべきだ、ということを示唆しています。この発展段階では、倫理学のような人文科学、あるいは政治学や政策科学のような社会科学の理解が、物理学や数学のような純粋な自然科学の理解よりも重要になることが明らかになってきます。これは技術の平和利用についての話ですが、先ほど述べたとおり、平和(に擬態した戦争)は高度な戦争状態であることを踏まえれば、人類が戦争のエンドゲームに近づくほど、人文科学・社会科学の優先度は自然科学に対して相対的に高まっていく、ということが理解できるはずです。そしてもう一つ。手段を問わず政治的正しさや法的正しさを最大化してきた者ほど、明文化できないがゆえに罰則化もできず、結局はその人の良心に委ねるしかない「倫理」という基準で、大きく踏み外す可能性が高い。だから「倫理学(人文科学)」と「政治学(社会科学)」のどちらを優先するかを問われたとき、人々が倫理学を優先できるだけの賢明さを持っていてほしいと願いますが、人文科学の戦争における重要性は、実はまだここで終わりません。

そこで、人文科学のさらなる重要性を、別の文脈で説明したいと思います。そのためには、中国史の一断片と僕個人の体験を少し紹介する必要があります。中国史について言えば、中国は漢民族以外の民族に支配されたことが二度あります。モンゴル人による支配と、満州人による支配です。その結果、何が起こったか。結論から言えば、モンゴル人も満州人も、いずれも次世代以降に自発的な漢民族への同化が起こりました。漢民族には、当時の異民族による支配階級を自分たちの側へ取り込み、「試合に負けて勝負に勝つ」だけの懐の深さが備わっているということです。次に僕個人の経験ですが、僕は成長の過程で、つねに自分を日本人だと認識してきました。けれどもアメリカの美大で芸術家にとってのアイデンティティの重要性を学んだことで、卒業後に日本へ戻ってからの数年間、自分は何者なのかと自問し続ける時期が続きました。その当時、すでに父の親友である中国の先生のもとで中国芸術を学んでいたものの、まだ中国画の人文科学としての意義には気づいていませんでした。

まずは日本人としてのアイデンティティを掘り下げようと、当時の僕は『茶の本』や『代表的日本人』を読みました。すると、茶道の起源は中国の南宗禅にあり、『代表的日本人』に取り上げられた一人である西郷隆盛は儒教の一派である陽明学を修めていたことが分かりました。日本固有のものと信じていた文化が、辿ってみれば思いがけぬほど多様な形で中国から渡ってきていたのです。それでもこの段階では、中国人としてのアイデンティティよりも日本人としてのアイデンティティを追求しようと考えていました。そして日本の美大の大学院を、日本画専攻で受験することにしました。ところが、人体デッサンの実技のあとの面接で、教授陣から「中国画を学ぶ理想的な環境があるにもかかわらず、日本画を学ぶ意味は何ですか」と問われ、すぐに答えが出てきませんでした。それが原因かどうかは分かりませんが、結局、不合格でした。何より印象的だったのは、こうした問いが面接で来るであろうことは容易に予測できたはずなのに、自分にはその答えが用意できていなかった、という事実そのものでした。要するに、答えがなかったのです。これを機に、僕は中国芸術に本気で打ち込む決意を固めました。そして中国画を学んでいくなかで、その人文科学としての重要性に気づき始めたのです。

そもそも、なぜ漢民族を打ち負かした者たちが、結局は数世代をかけて漢民族に同化してしまうのか。それは誰かが自分の祖先を、歴史・考古学・言語学を頼りにさかのぼっていくときに起こります。そして、コミュニケーションの本質的な側面が、実は情報の論理的な理解と同じくらい――いや、それ以上に――社会的にマウントを取る行為なのだ、と誰かが気づいたとき、化学反応が起きるのです。この事実を踏まえると、二つ以上の相反するアイデンティティを抱える個人が、なぜ特定のアイデンティティを他より優先的に選び続けるのか、そしてその選択の積み重ねが、いかにして数の上で支配的な民族と文化を生み出すのかを説明できるようになります。

弱い雄のチンパンジーは、支配的な雄のチンパンジーに自分の上に乗らせる(マウントを取らせる)ことで、物理的な争いを回避します。内向的で賢く、しかしまだ若くアルファ男性をめぐる争いとは無縁の男性は、コミュニケーションの目的を「情報を論理的に共有することだ」とある意味で誤解してしまいます。学生時代の女性たちは、男性の優位性を、声・表情・髪型・服装といった会話の内容以外のあらゆる要素を通じて瞬時にマウントを取れるかどうかでしか判定できないため、女性をめぐる争いにおいて、内向的な男性は外向的な男性に敗北を喫することになります。これは実は、一部の内向的な男性にとっては良いことです。彼らは学問を修め続けることで戦略を磨きつつ、学生時代の敗北を通じて、当時優位だった外向的な男性たちの戦術を少しずつ、しかもより洗練された形で身につけていきます。やがて戦略でも戦術でも彼らを上回る方法を獲得し、つまり遅咲きながらアルファ男性をめぐる争いに「関係する側」へと入っていき、ようやく賢い女性たちが彼らの会話の中身そのものに耳を傾け始めるからです。ここに至って、もともと「コミュニケーションの本質は情報の論理的共有である」と捉えていた内向的な男性と、会話の内容以外のすべてで刹那的なマウントを取ってきただけの男性との間で、会話の内容の差は歴然となるのです。

人は、自分が何者かを理解する前に競争を始めます。そして多少なりとも成功した者は、その成功の理由を「自分は何者なのか」という問いのなかに探そうとします。文化的なコミュニケーションは、まだ若くアルファ男性をめぐる争いと無縁の内向的な男性にとっては「多様性の理解」にすぎませんが、外向的な男性たちは最初から、それが文化的優位性に基づく社会的マウント合戦であることを理解しています。言い換えれば、文化的闘争です。そして、分かる人には分かる話なのですが、マウント合戦においては、より古く、よりオリジナルに近い文化のほうが強いのです。なぜなら、本当に古くオリジナルな、しかもアルファ男性をめぐる争いと結びついた文化のいくつかは、群れの支配的な雄猿の論理にもとづく必要性から生まれているからです。漢字は四大文明にまで遡れる唯一の表意文字で、それ以外の表意文字はすべて断絶し、解読不能になりました。そしてこの「漢字」で書かれた中国古典の内容は、群れの支配的な雄猿の論理に根ざした必然から書かれている。そして中国画の起源はと言えば、儒教のような、アルファ男性をめぐる争いに直結する内容を勉強しすぎて退屈した文人が、遊びで竹を描き始めたところにあります。つまり、書・画・篆刻からなる中国画は、倫理学・哲学・美学・宗教学・歴史学・考古学・言語学などの人文科学を総合した、いわば総合格闘技ならぬ「総合人文科学」と正式に呼んで差し支えないものであり、戦争の勝者のアイデンティティを最終的に決定づける文化的闘争において、きわめて強力なツールになり得るのです。

僕の見立てでは、いまさら政治的正しさを云々し始めている西欧の文明は、人々が人文科学の場で競い合う「平和に擬態した戦争」を生きるこの世界において、すでにチェックメイトされています。中国人は、戦争に誰が勝つかをたいして気にしません――勝者が中国人であるかぎりは。僕の言わんとするところが、読者の方々に伝わることを願っています。

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